14/05/30
『一葉の地』
樋口一葉。
名前くらいは聞いたことがあるのではないかとおもう。
明治の女性小説家で若くして亡くなっている。
純だったり、したたかであったり、ロマンチックな乙女心満載で、死ぬまで独り身だった。命短し恋せよ乙女である。
そしてまた、士族としての矜持がどこかにひっかかっていて、さらなる貧困を恐れたおかげで、小説家としての名を残した、のではないか。
もう1言いわせてもらえれば、読書大好き文学少女である。
そんな彼女の作品に今回取り組むにあたって出演者一同と数人で、一葉の生活圏をそぞろ歩いた (一葉ツアー)。
さて、土地の名前は現在の住所で書かせていただく。
生まれは東京都千代田区内幸町、その後生涯で15回の引っ越しをするが千代田区の他に、港区、文京区、台東区と、この4区の中を転々とする。
2日もあれば徒歩でまわれる。健脚ならば一日ですむだろう。
しかも一葉は旅にでたこともないから本当に狭い世界を生きていた。
私が浅学なだけかもしれないが、当時そのような小説家は他におもいあたらない。
私たちは一葉記念館に行ったあと、上野から東京大学をよこぎって菊坂をくだり、後楽園脇の春日駅あたりをメインに歩いた。
一葉の足跡をたどるなかで当時の面影を残すのは上野にある旧東京図書館と菊坂にある一葉旧居跡である(森鴎外の旧居も現存していたので中にはいったが一葉はきっとこの鴎外宅に寄ったことはないとおもうので省く)。
平成もだいぶすぎてしまっているので当然のことながら明治は無い。
残念ではあった。
もう少しなにかあればよかったのに。
明治の片鱗をもっと見たいのに。
長屋で暮らしている人とか鹿鳴館とか。
なんておもいながら歩いた。
歩きまわっておもったのは、一葉が実際に歩いた世界は本当に狭小なのだと。
一葉の旧居から旧居ま での距離も、近ければ30分、遠くても2時間あれば歩ける。
狭い世界の人である。
ところが一葉は世事に敏感であった。
新聞を読んでいたため、日記には政治や社会に対していろいろと物申している。
旧東京図書館に通いつめて読書にふけている。
萩の舎という歌塾に通って上流階級の人々と接している。
吉原の近所に住んだり、それより格下の女郎屋の脇に住んだり、貧民街を見たりしている。
日清戦争で貧富の差がますますひらいていくことも理解していた。
東京生まれ東京育ちの一葉は日本人の生活や社会階級を根底からくつがえすような時代を肌で直接感じ、目撃できる土地に生きていたのだとおもう。
石原石子
※写真:樋口一葉のゆかりの地を巡るツアーより