06/11/15
「演劇と死」
本日「青い鳥」、「ファウスト」の通し稽古が行われた。
出演しない「ファウスト」は観ていて沢山のことを考えさせられた。
出来ているわけではない、完成しているわけではないが、何処に行こうとしているのか役者1人1人、1シーン1シーン、そして芝居そのものが分かっているように感じられた。
様式的な芝居では言葉は多くの意味を含み、1ポーズに様々な可能性が込められ、強くて美しい構図があるべきだと思う。
それらが芝居そのものの情報量を増やし、観客の思考を日常では到達し得ない領域まで導くのだから。
「青い鳥」も紙芝居の絵の数を減らしていくように、凝縮して密度を濃くし、温度、テンションを上げることで人物や状況の最大公約数を描きたい。
直感に従いここまで来た。
象徴性を高めるために今後は深く思考していきたい。
もう1つ
「演劇と死との親和性」について考えさせられた。
複式夢幻能では「生者」と「死者」の世界を往還することによって表現の魅力が生まれ、その「死の陰を引きずった美」は幽玄と呼ばれている。
近代以前「死者の世界」と「現世」が遠く隔たっていなかった頃、人々は不可視なモノを見、対話不可能なモノ達とコミュニケートしていたはず。
「死を感じる」ということ。
そこに思考を導く。そんなことが四畳半できっと出来るはず。
なぜならそれは、僕達の大先輩が大昔から行ってきたことなのだから。
野々下孝