11/08/11
番外編 PART-3 演劇に無縁な私 「いそがしい社会人のための演劇ワークショップ 第二弾」に向けて
たとえば私が演劇とはまるで無縁な生活を送っているとして、それは日本ではごくあたりまえの風景である。
そんな私が「ちょっと演劇でもやってみるか」
と思ったとする。
「ちょっとジョギングしてみるか」とか、
「ちょっと自分で料理できるようになってみるか」とか、
そういったノリで。
何から始めよう。
お芝居をするのだから、まず台本からさがそう。
そう思うんじゃないかな。
間違っても身体を鍛えよう、とは思わないだろうし。
仲間を集めよう、という知恵も働かないだろう。
どこかに教室でもないかな、
という好奇心は湧く。
でもカルチャーセンターをネットで検索しても、
どれがいいのか、わからない。
わからないよ。
やったことないんだもん。
そもそも何が必要なのか、そこからわからない。
図書館に行って「戯曲コーナー」を覗いてみる。
海外のは登場人物の名前からして難しい。やめよう。
日本のは、と…知っている人の台本もあるぞ。
なるほどなるほど。でも人数が必要だな。
誘っても人は集まりそうにない…。
発声練習? 必要なの?
面倒だな。やっぱ、やめよう。
やめるでしょう。
どうやっていいのかわからない。
学校でも教わった記憶まるでないし、
部活で演劇やってる奴って、ダメな奴らじゃなかったっけ?
こんな感じで終わるのが見える。
演劇人口を増やしたい。
私たち山の手事情社が切に願っていることである。
そのために簡易な入口を設けたい。
そういう考えで、毎月、もしくはふた月に一度くらい、
「演劇ドック」
というワークショップを実施している。
2日間で演劇の基礎的なトレーニングを体験していただく。
台本は読みません。
そんな必要ないから。
台本なぞなくたって、演劇は十分に楽しめます。
むしろ短い期間だと台本なんて煩わしいだけ。
ちょっとしたルールを加えて身体を動かすと楽しいとか、
大きな声を出すと思いのほか気持ちいいとか、
わざと怒ってみると結構怒れて新鮮だとか、
そういうトレーニング。
それが入口。
さて、もう少し踏み込んでみたいぞ。
という人のために昨年から、少し長めのワークショップをやることになった。
「感情とからだ編」
「私とドラマ編」
二本立てだ。
演劇をやると、
やる前に思っていた以上に、
からだと向き合うことになる。
感情なんてやっかいなものも立ちはだかる。
演劇はスポーツじゃない。
むやみに動けばいいってもんじゃない。
ゴールもホームランもいらない。
好きな人を思って、ちゃんとくよくよしたり、
憎い奴を心底殺したい、と思えたりすることが重要だ。
できます?
すぐにはできない。
でも徐々にならできる。
からだを意識すると感情を強く出すことができるんです。
その方法をお伝えしよう、
というのが「感情とからだ編」
「私とドラマ編」の方は、
ちょっと演劇でもやってみるか、という人にお勧め。
演劇とは、つきつめるとドラマ。
図書館で台本眺めてたのも、
ドラマをやりたいからでしょ。
日常とは違うドラマを生きてみたいなぁ、
私たちは無意識に熱望し飢渇しているんです、実は。
それが戯曲という形になって保存されている。
山の手事情社の今回のワークショップでは、
そこはやらない。
その前とも言えるし、その先とも言える。
日常とは違うドラマを生きるっていうけど、
その前に私たちはどんなドラマに浸かって生きているのだろう。
「普通だなぁ」「くだらねぇなぁ」「もう飽き飽きだよ」
と思っていることってどんなドラマだよ、じゃあ。
ということを考える機会。
日常を超えたドラマってやつを、
それなら一丁、真剣に考えてみるか。
というのがその先の課題。
まず自分の日常やら生活やらを
じっくり見つめて、
もっともっと深いところまで見つめて行くと、
台本に頼らなくてもいろいろ出てくる。
集めなくてもとりあえず一緒に作る仲間もいる。
台本で作る芝居をとりあえずゴールと考えるなら、
スタートはどこなんだろう。
「自分」です。
その「日常」ですよね。
そこをしっかり把握していく。
それなしにドラマとかいっても
ぺらぺらな嘘っぱちだよ。
ま、入口としてはとっつきやすい。
演劇に無縁な私に面白がってほしい。
安田雅弘
*******************
研修生の熱い稽古場日誌も日々更新!
*******************