12/09/10

女殺油地獄(ルーマニア)

9月10日UP 番外編日誌 スタッフたち(7月11日)

「今日洗濯します?」
出がけに志賀さんと淳子さんに声をかける。
宿舎に洗濯機はない。下着はそれぞれ洗面所でシャワ
ーのついでに洗ったりするが(風呂には入らなくなる、
入りたいとも思わなくなる)、トレーニングウェアや普
段着はちと手に負えない。乾燥しているとはいえ、連
日35度を超えている。洗わないわけにもいかない。
もっとも「プラトーノフ」演出のダビジャ氏[前回参
照]は宿舎に洗濯機がほしいと劇場楽屋のを運びこま
せ、普段使っている一人暮しの俳優は困っていた。演
出家はこちらでは、とてもエライのである。
「じゃあ今日お願いしますか」となると、めいめい洗
濯物を袋にまとめて、稽古場でマリアさんあるいはア
ナさんに手渡す。帰宅する頃には乾き、たたまれて戻
ってくる。寸謝としていくらか包むものの慎み深い彼
女らはなかなか受け取ろうとしない。
マリアさん、アナさんが一体どういうスタッフなのか
わからなかった。稽古場の鍵は彼女らが開ける。稽古
前の掃除用具を出すのも彼女らだ。稽古場に置き忘れ
たタオルが翌日きれいに洗濯されて元の位置に戻って
いる。それも彼女らのおかげ。見ていると俳優の稽古
着・タオルも前日放置した場所にきれいになって戻っ
ている。時々笑いはするものの、黙って稽古を見てい
る。我々が帰ると戸締りをして劇場に戻る。稽古場付
きのスタッフなのかしらと想像していたが、さにあら
ず。「楽屋付き」というスタッフだった。日本でも商業
演劇にはある職種なのか? 不勉強なボクはお目にか
かったことがない。で彼女らは何をするかというと、お
よそ楽屋周辺で必要な雑事をすべてこなすのである。
台本を手に、細かくメモしている。何を? と思って
いたら早替えの段取りを計算していた。衣裳だけでな
く、美術や道具の転換も把握していて、他のスタッフ
に伝える役割も担っている。

彼女らの上司になるのか、別部門なのかニクさんとい
う男性スタッフがいる。稽古場で平台が必要だ、椅子
と机が数脚ほしい、となると彼が手配する。「舞台監督」
とのこと。
ヨーロッパでは一般的だし、日本でも商業演劇なら普
通だが、演出家が芝居を見てダメを出すのは本番初日
まで。翌日からは、「舞台監督」がダメ出しをする。俳
優がどのタイミングでどこから出て、どこにはけるか、
道具はいつ転換するか、照明と曲は合っているか。そ
ういう技術的な状態を初日のまま維持する。
「物理的なことはそれでいいかもしれないけど、芸術
的な品質はどうやって維持するんだよ」と演出助手の
ヴィチェンチウに尋ねると、「ヤスダさんが信頼する出
演者に委ねるのが通常のやり方です」。
10年ほど前、東京の新国立劇場にペーター・シュタイ
ン演出の「ハムレット」が来た時、初演からもう随分
たっている上に、出演はロシアの俳優たちで、ペータ
ーはその間作品を見ていないため、初演時より40分近
く長くなっている、という噂を耳にしたことがあった。
真偽のほどは知らない。ただそういう事態も起こりう
るわなぁと、思い出した。この作品、一体誰に託せば
いいのか。

選曲の斉見さんが到着した。山の手事情社の音響をず
っと担当していただいているが、今回無理を言ってお
願いした。10日間かけて芝居の音を決めていく。
斉見さんにお願いしておいた待望のハエ取り紙と蚊取
り線香も到着。シビウでゴキブリは見かけないが、ハ
エはかなりのものだ。台所に数匹いるのを追い払った
ら、寝室の陽だまりで数もふえ楽しげに群れていて、
寒気がした。近頃東京では見かけない数だった。ハエ
取り紙なんて見るのも久しぶり、設置するのは人生初。
蚊にも悩まされた。ただでさえ稽古で疲れはてている
ところに、明け方プーンという音で目覚めたり、痒く
て寝ていられなかったり。シビウにも蚊取り線香はあ
るが、日本モノの方が効き目が強い。安眠できる。あ
りがとう斉見さん。
到着の日は最後の休日。美術・衣裳・配役と考えなけ
ればならない作業は山積しているが進まない。まだ稽
古を見ていない斉見さんをつかまえて、あれこれ選曲
を始めるものの、ついついなつかしい曲を聞く方に流
れてしまう。疲れは思ったより深刻なのかもな。

※写真説明

1枚目
稽古場客席のマリアさん(左)、アナさん(右)。
手前は通訳の志賀さん。

2枚目
通し稽古で早替えのために舞台下手に待機する
アナさん(左端)、俳優ヴィオレルをはさんで、
マリアさん。右端はフローリン、手前はアリーナ。

3枚目
通勤途中。
日焼け完全防備の演出助手淳子さん(左)、
真ん中が選曲の斉見さん、志賀さん。

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山の手事情社次回公演!
「トロイラスとクレシダ」原作/W・シェイクスピア
2012年10月24日(水)-28日(日)
東京芸術劇場 シアターウエスト

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12/09/01

女殺油地獄(ルーマニア)

番外編日誌 アリーナ(7月9日)

アリーナはスタッフとして配属されてきた。
俳優だが、モデル? というくらい顔は整ってるし、
スタイルもいい。2年に渡ってワークショップで見て、
十分な力を感じることができず、キャスト希望には入
れなかった。
なぜ彼女が稽古場に、とけげん顔のボクに「演出助手
をやるよう総監督キリアック氏に言われて来ました」
「演出助手はヴィチェンチウがいる。日本から淳子さ
んも来るし…」。
すると、出演者が台本を正確に覚えているかどうかチ
ェックする係だという。そんな仕事日本では聞いたこ
とがない。が、ヴィチェンチウによれば不自然なこと
ではないらしい。

6月中旬から7月下旬までのこの時期、バカンスで、ほ
とんど公演はない。しかし俳優もスタッフも休んでい
るわけではなく、来シーズンの仕込みをしている。「客
の来ぬ間に」大車輪で芝居を作っているのだ。「女殺油
地獄」と並行して劇場ではチェーホフの「プラトーノ
フ」が製作されている。こちらの演出はダビジャ氏。
少し年上だが、すでにルーマニア演劇界の重鎮だ。30
人近い出演者に3時間を超える大作。当初彼の作品が
同時進行で作られることなど聞いていなかった。おそ
らく急遽決まったのだろう。
「この時期なら劇場を占有して稽古できる」という話
だったが、手狭なスタジオホールでの稽古になった。
「好きな俳優をいくらでも使ってくれ」と言われてい
たのに「この俳優も、あの俳優もダメです」と配役の
最終段階でどんでんがえし。それもこれもダビジャ先
生の登板が原因に違いない。
演出家は使いたい俳優を劇場に伝え、最終的には総監
督が配分を決定する。

キャスティングはやや混乱があった様子。あとで聞い
た話を総合すると、当初ボクの方で使うと予想される
俳優は、ダビジャの配役可能リストには入っていなか
った。ただ、彼の作品にボクの希望していた俳優が出
ることになって、ボクの方でもキャスティングをいじ
りなおした結果、どちらにも出られない俳優たちが出
てしまったようなのだ。ふたを開けてみたら、どちら
のキャスティング表にもない…、みたいな。申し訳な
い気もするが、配分は劇場の専権事項なので何も言え
ない言う資格がない。そのあたりは俳優もわかってい
るらしく、苦笑いしつつ握手してくる。「次はぜひ一緒
に!」。

アリーナは、おそらくどちらの演出家からも候補にあ
がらなかった。「稽古場を見ておけ」という意図をもっ
て派遣されてきたのだと思う。俳優がせりふを入れて
しまうと、彼女の仕事は、子役スンジアナのおもり程
度になっていた。ちょうどその時期、ヴェロニカが8
日間出張で稽古場を不在にしたので、代役を依頼した。
「せりふをちゃんとおぼえてきたら、稽古を見るよ」
目が輝く。役者なんだ、当たり前か。休日明けの稽古
で与兵衛の妹おかちをやらせてみると、せりふは全部
入っているし、ヴェロニカより声が出ている。何より
なりふりかまわず必死だ。かっこつけてる余裕なんて
ない。ヴィチェンチウが思わず振り向いてささやく「す
ごくいいと思いませんか?」「うん、あとで検討しよう」。
話しているとわかるがとても頭がいい。それが「頭で
っかち」という形で災いしている。「シュティウ(わか
ってます)」とうなずくが、やらせるとできない。そこ
にどうやら彼女が伸び悩む原因があると踏み、叱った。
安易に「わかった」と言うから、いつまでたってもう
まくならない。演劇ではできることがわかること。言
う前に稽古しろ。ボクを憎め。そのエネルギーで稽古
しろ。
悔し涙を浮かべていたが、大汗かいて稽古しだした。

ヴェロニカが戻ってきて、2人に役を競わせることにな
った。そのあたりはいずれ書こう。結局おかちはアリ
ーナの役になった。考えてもいなかった決着だが、も
しやこれもキリアック氏の狙いだったのか、とその深
慮遠謀を疑ったりもする。

※写真説明

1枚目
はじめの頃のアリーナ。

2枚目
《四畳半》の基礎稽古中。

3枚目
おかちのシーン。

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山の手事情社次回公演!
「トロイラスとクレシダ」原作/W・シェイクスピア
2012年10月24日(水)-28日(日)
東京芸術劇場 シアターウエスト

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12/08/29

女殺油地獄(ルーマニア)

番外編日誌 ストイカ先生(7月6日)

歌、が使いたいと思った。
ルーマニアで芝居を見ていると、いいなぁと思える歌
のシーンが多い。曲もいいし、俳優も歌がうまい。
ルーマニアの宗教はギリシア正教が主流で、それが原
因かと思ったりもする。正教会はミサで楽器を使わな
い。
神父の歌声が中心だ。土日の朝には宿舎前の教会か
ら語りかけるような歌うような朗々とした声が聞こえて
くる。イスラム教のコーランに似ていると思っていた
ら、もとは同根なのだとある学者が教えてくれた。教
会はかなりあるから、この国には声の鍛わった神父さ
んが相当数いる。子供の頃から日曜ごとに教会に通っ
ていれば、声の魅力に敏感な文化ができあがったとし
ても不思議ではない。

ひるがえって日本人もミュージカル好きな民族だ。
そもそも伎楽・雅楽から始まって、能楽も立派なミュ
ージカル。歌って踊って演技する。
楽器と歌が入り、ダンスが合わさって歌舞伎の華美な
舞台ができあがる。日本人にとって古来、演劇とは歌
であったのだと思う。
新劇以降、演劇と歌は疎遠になった。劇団四季は日本
人の潜在的なDNAを刺激しヒットした、だからエラ
イのだ。

お吉と与兵衛は幼馴染。せりふで語られてはいるもの
の、回想シーンがあるわけではない。与兵衛がお吉を
殺す理由を考える上で、家族よりも親密な2人の関係
はとても重要だと思った。いずれ詳しく書こうと思う
が、その親密な関係を回復したくて与兵衛はお吉を殺
してしまう。
で、その親密な関係を彷彿とさせる歌がないものかと
思ったのだ。
さっそく専門家がやってきた。ストイカ先生。今まで
数多くの舞台で歌唱指導をされ、演劇大学でも講座を
お持ちで俳優とも親しい。能力・クセをよくご存知。
こういうご仁が頼むとひょいと出てくるところはさす
がに国立劇場だな、と感じる。
芝居のコンセプトを伝え、童謡、誰でも知っている歌、
でもポップスではないもの。と注文をつけた。
「ちょっと考えさせて」と言って翌日の稽古前に数曲
持ってきてくれた。
まず俳優に歌わせてみよう、ということで、バイオリ
ンを取り出し、弓で弾いてメロディを確認したり、時
にウクレレのように指ではじきながら、「じゃヴェロニ
カこの音で」「次にディアナ歌って」「今度は全員」と
指導が続く。俳優たちと歌うのが本当に楽しいのだろ
う。ほっとくと何時間でも稽古していそうだ。

結局ドイナと呼ばれる民謡の中から「ドゥイドゥイ」
がいいのではないか、ということになった。ルーマニ
ア人なら皆知っている曲だという。「あなたに手紙を書
く、私の声は谷を越え、山を越える」というような歌
詞とのこと。「あなた」は肉親かもしれないし、恋人か
もしれない。
もの悲しく、ゆったりと、心に沁み入ってくるような
曲だ。
マリア・タナセというルーマニアの美空ひばりが歌っ
ているものなら、You Tubeで聞くことができる。

雨に降られた旅人が、雨宿りしようとある教会の廃墟
にたどりつく。中からは風の音のような女性の歌声が
聞こえる。足を踏み入れると、廃墟には似つかわしく
ない美女が静かに座っている。「あなたを待っていまし
た」「僕を?」「あなたに聞いてほしい物語があるの」
女は旅人を連れ教会の中へ案内する。芝居の冒頭シー
ンのイメージが思い浮かんだ。
それにしても、「歌」というものは文化のコア部分にあ
るんだなぁと痛感。異文化人からすると、いいなとは
思っても、同じようには受け取れないものなぁ。ちと
くやしいような、うれしいような。

※写真説明

1枚目
宿舎前の教会。
土日はミサの後、必ず結婚式が開かれていた。


2枚目
歌の稽古。


3枚目
ストイカ先生。

******************
山の手事情社次回公演!
「トロイラスとクレシダ」原作/W・シェイクスピア
2012年10月24日(水)-28日(日)
東京芸術劇場 シアターウエスト

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