12/08/06
番外編日誌 「女殺油地獄」という作品(6月16日)
「女殺油地獄」をおんなころしあぶらのぢごく、
と正確に読める日本人は、まずまれだろう。
オンナゴロシアブラヂゴクと読んでしまう。
さらに、ああお吉与兵衛ね、なんて気の利いた
対応のできる日本人がどれだけいるのかな。
自分もアブラヂゴク派だったから、
エラそうなことを言うつもりはない。
知らないって。学校でも教えてないしさ。
歌舞伎鑑賞教室もっとやりゃいいんだよ。
で見る前に、場面の一つもクラスで作りゃいいの。楽しいぞ、きっと。
せりふの意味とか、演技がどうかなんて
わからなくて構わない。何となくやってみる。
やれば日本人の血が、DNAがさわぐ。
民族とかパッションってそういうもの。
演劇がもっとも深くかかわっている部分だ。
大阪の油屋・河内屋、その斜め前に油屋・豊島屋。
河内屋の与兵衛、豊島屋のお吉。2人は幼なじみ。
与兵衛は23歳。仕事もせず親の金で、遊郭で遊び
まわるワル。お吉は27歳、豊島屋七左衛門の妻。
野崎の観音参りで2人が出会い、物語は始まる。
子連れのお吉に「女遊びもほどほどに」
と説教される与兵衛。彼は一緒に来たかった
遊女に振られ、他の客と参拝に来ると聞いて、
待ち伏せしていたのだ。お吉と別れたあと、
その遊女と出会い、恋がたきと喧嘩になって、
通りがかりの殿さまに泥をかけてしまう。
その場は許されたものの、部下に斬ると脅され
泥だらけで混乱し、途方にくれる与兵衛。
お吉は彼を見つけ、茶屋を借り泥を洗い流してやる。
やってきた夫の七左衛門はすわ浮気と誤解するが、
それも解け、お吉と与兵衛は別れる。
ここまでが上之巻。
さらに中之巻、下之巻とつづく。
(あらすじはネットで検索するといろいろ)
キモは下之巻で与兵衛がお吉を殺すところ。
どうして? というような殺し。普通に考えりゃ、
借金苦による衝動殺人。当時もあったろうし、
今でも珍しくない。これはつまらん、ということで、
江戸時代にはまったくヒットしなかった、らしい。
明治に坪内逍遥という粋な学者が取り上げる。
「ほんとに面白くないんだろうか」というわけだ。
で、文楽や歌舞伎で、再上演されるようになった。
いろいろ工夫してやられているが、でもまぁ、
やっぱり借金苦による衝動殺人だよなぁ、これ。
与兵衛には時代をこえ、地域をこえた、だらしない
若者の典型が見られ、そこをほりさげている印象。
「しょうもないし悪いヤツだねぇ」という面白さ。
だから二枚目がやらないとサマにならない。
それと、油まみれの殺人という状況の特殊性。
つるつるすべってなかなか殺せないし、死なない。
文楽は人形ならではの、歌舞伎は様式美をそれぞれ
追求し、結実している。見ごたえがある。
映画にもなっているが、たいていお吉と与兵衛に
男女の関係があったかのように話を変えている。
「女殺し」とか「油地獄」って言葉は響きとして、
エログロを連想させ、何か期待させるんだろうな。
原作を読めばわかるけど、2人にそういう関係は
一切ないし、描かれてもいない。
「不義になって貸してくだされ」つまり、
「不倫の関係で(金を)貸して下さい」
というせりふはあるものの、本気とは思えない。
だから原作を尊重するなら情動殺人でもない。
与兵衛はなぜお吉を殺したのか。
まずこの問題をクリアしなければならない。
借金苦の衝動殺人にも、情動殺人にもしたくない。
しかもやっかいなことに、その理由が解けたとして、
だからどうなのよ? という問題が頭をもたげる。
その理由にどんな意味があるのか。
どこが今までにない視点着眼点なのか。
演劇的にしっかり処理でき、成立させられるのか。
そんなことを考えながら作業に入っている。
演出家の仕事ってつくづく説明しにくい。
※ 写真説明
1枚目
お吉のディアナ(右)と娘お清のスンジアナ。
2枚目
与兵衛のチピリアン(右)と七左衛門のアドリアン。
3枚目
通勤の道。実は暑い。
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山の手事情社次回公演!
「トロイラスとクレシダ」原作/W・シェイクスピア
2012年10月24日(水)-28日(日)
東京芸術劇場 シアターウエスト
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