12/07/11
番外編日誌 異文化交流(6月13日)
10日から12日まではラドゥ・スタンカ劇場の
ブカレスト公演があって稽古は休み。
休みあけも、読合せが続いている。
演劇大学出身のエリートぞろいというが、どうした。
台本解釈とやらがてんでできてねぇじゃねぇか。
スタニスラフスキー先生がおなげきだぞ。
「なぜお吉はこんなことを言うの?」
「夫に申し訳ないと思って…」
「ほかには?」
「子供を長い時間放っておいたことを責めて…」
「それは台本に書いてある。ほかには?」
「わかりません」
「もっと考えて」
「七左衛門はそのときどんな気持ちだと思う?」
「怒りですかね」
「ほかには?」
「なぜ与兵衛と一緒にいるのかという…」
「という?」
「怒り、疑問…」
「怒りはさっき言ったよ。疑問て感情なの?」
「…」
「考えるんだよ、果てしなく。早く台本おぼえろ」
こんなに不安でない俳優たちを見ると不安になる。
それとも油断させようという作戦か?
誰に、一体どんなメリットが?
あれもやろう、これもやりたい、
と考えてきた稽古プランは初日に崩れ、
今は立派な廃墟になっている。
高校の演劇部か? 大学の試演会ですか、これは?
まてまて、彼らの立場に立って考えなくては。
「他人の内部論理に入り込むことこそ演劇の暴力」
などとエラそうなこと言ってる自分が、この程度で。
…はしたない。
彼らがなっていないのではない。
日本人が特殊。そう考えるべきだろう。
近松なんて知らない。知りっこない。
日本の連中だってろくに知らないんだから。
このサムライやらハラキリやらの言葉が
平然と並んでいる戯曲をヨーロッパ的に
解釈していいのかどうか、そこからわからないのだ。
いいんだよ、と言われても、日本人たるボクの
内部論理を把握する文化的背景など
彼らは持ち合わせていない。
親戚にも友人にもいないジュリエットだの、
アルセストだの、トレープレフという名を
こともなげに使いこなす日本の演劇人。
バルコニーだの、カフェだの、サモワールだの
概念さえなかったヨーロッパの言葉を
知らないと恥じ、学んで適応してきた先輩たち。
それこそ世界の常識から見れば珍妙なのである。
自分たちの先祖をないがしろにしてまで、
ヨーロッパ文化を憧憬し傾倒するこの人たちは、
一体何者? なのである。
ああそうか、これこそ国際交流の真の姿。
握手だの拍手だのにちりばめられた
美しいものなどどこにもない。
猜疑だの憤怒だの杞憂だの慙愧だの諦念だのに
忍従し悶絶して交流は進む。
交流してるんだよ、多分、今。そうか、してるか。
しすぎてないか、だとすると。
※ 写真説明
1枚目
稽古場の外観。
国立ラドゥ・スタンカ劇場から
徒歩5分くらいのところにあるスタジオ・ホール。
2枚目
スタジオ・ホール内部。
3枚目
《読合せ》風景。
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山の手事情社次回公演!
「トロイラスとクレシダ」原作/W・シェイクスピア
2012年10月24日(水)-28日(日)
東京芸術劇場 シアターウエスト
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