13/05/10

道成寺/モルドヴァ・ルーマニア

劇団という集団

集団は苦手だ。
子供の頃からそうだった。
色々な話が飛び交う中、自分の意見を挟む事が苦手だからだ。
子供の頃は特に、周囲に興味がなかったのかもしれない。
幼なじみの母からは「保育園の頃から一匹狼だった」と言われる。
何とも気の毒な子供…。

なのに、劇団性が好きだ。
長く濃く積み重ねた集団だからこそ作りあげられる舞台は、それ相応の重厚感と一体感があると信じているから。
結局は好きな事・情熱を燃やせる事には、自然と自分なりの生き抜く手段が生まれる。
もちろん話したい意見もあるし、多少ぶつかったところで結局は一つの作品に向かう気持ちにブレはない。

そんな集団に魅かれ入団した、映え抜きの濃縮さを讃える、山の手事情社。
早いもので1年。

ここの所感じるのは、同じ集団で同じところを目指している劇団員なれど、戦い方がかなり違うという事。
「道成寺」の稽古に入り、《四畳半》に繋げる基礎稽古を行っているが、諸先輩方にはそれぞれの方法論がある。
うかうかしていると「言ってる事が全然違う!」と迷宮に入りかねない。
でも「全然違う」と受け取るのは、全然違う。
結局はどこかで繋がっている。
どの道を辿って、この人はここに行き着いたのか?
色々な道筋を知る事で、自分の糸口が見つかるかもしれない。
とても有意義な事と感じる。

はてさて、自分はどんな道なのか?
反省を繰り返し、とにかく進むしかない。
「道成寺」の稽古が進められる最中、キャストじゃないからと言ってのん気ではいられない。
先日も課題の発表が行われた。
この集団では、道で立ち止まっては居られぬよう、常に課題が後ろから追いかけてくる。
おにぎりを食べる暇もない。
しかし、数々の課題をやる事で、自分個人のみならず、劇団員の濃縮された考えを知り、集団としての繋がりが強固になる事も確か。

少し余談になるが、先日の発表を終えた後、新劇団員の高坂が、安田さんからのキツめのダメ出しを受け、大真面目に何かを書いている。
チラ見をすると、「プロの俳優になる」というスローガンと共に、「スポーツ選手か」とツッコミを入れたくなるトレーニングメニューを書き出している。
メニューの中に、突如「半身浴」と記されている。
考えた事がなかった。「半身浴」
筋トレ、発声などは分かる。「半身浴」
気になって仕方ないが、彼が何かを進める為に必死で考えた手段かもしれない。
目標は同じ筈だから、どんな手段でも試した方が良い。
とんでもない変化球から攻めてくるかもしれない彼の可能性を、文字通り垣間見た。

人を知る事は面白い。
特濃であれば特濃であるほど。
数ある内の、集団の醍醐味の一つ。
一匹狼だった頃の気の毒な自分に、少しでも伝えてやりたい。


辻川 ちかよ

13/05/09

道成寺/モルドヴァ・ルーマニア

"Dojoji is women's pathos story"/Kumiko Ogasawara

Our performance "Dojoji" is women's pathos story which is that a woman got jilted by her beloved guy has turned into a snake and burnt him to death.
I guess you should feel it is a scary story, but I would say that most Japanese women should have empathy with the story.
However, I wonder whether foreign women also have empathy with it. My the most anxiety is the above point when we will perform "Dojoji" in foreign country.
For the reason, I have seen "Lulu" performed by Theater National Radu Stanca, which promotes Sibiu International Theatre Festival in which we are planning to join, in Tokyo Metropolitan Theater on this Feburuary. Though "Lulu" was very interesting for me, I felt something to be anxious. That is I felt Lulu's daring personality is different from Japanese women's one and the distance sense for sex.
I have concluded that above should be culture gap.
Meanwhile, I realize now followings; If foreign women would not have empathy for "Dojoji", it is not uninteresting for them. Therefore, we will present you our "Dojoji" with confidense.

Kumiko Ogasawara


「道成寺」という作品は、女の情念の話である。
恋しい男に振られた女が、蛇に変身して男を焼き殺す。
怖い話である。けれど、日本人の女性はこの話に共感する。
外国人の女性は、共感するのだろうか?
「道成寺」という作品を海外で上演にするにあたり、
一番の心配はそこである。
というのも、2月に、私たちが今回上演するシビウ国際演劇祭を主催している、
国立ラドゥ・スタンカ劇場の「ルル」という作品を、東京芸術劇場で観劇した。
「ルル」はとてもおもしろい作品だったのだが、気になることがあった。
「ルル」という女性の破天荒な性格、セックスに対する距離感が、
日本人とは違うなと感じたことである。
きっとそれは、文化の違いというやつだ。
ここまで書いて、気づいた。
もし、外国の女性が「道成寺」の女性に共感しなかったとしても、
それは、「道成寺」という作品がつまならいということではない。
私たちは、自信を持って「道成寺」という作品を持っていきます。

小笠原くみこ


13/05/07

道成寺/モルドヴァ・ルーマニア

私のなかのおじさん

「わたしは、かもめ」
このセリフに今までどれだけの女優が頭を悩ませてきたのだろうと思うと、
あなたの存在の大きさに嫉妬しそうになる。
あなたが悩んで書いた作品を、あなたが死んだ今も悩んで作っている。
あなたはもういないから聞く事はできないけれど、
でも、きっと聞いた所であなたにも正解は無いと思うから、
だから皆で作り続けるのだけれど。

このあなたの名は「アントン・チェーホフ」というロシア出身のおじさんで、
医者をやる傍ら戯曲を書いていたスペクタクルな人物だ。
本人の写真が残っている程近代の人物である。
彼の書いた「かもめ」という戯曲は世界に広まり、
没後100年経った今でも各国で上演されている。
イメージとしては、近代の「ロミオとジュリエット」だ。

その「かもめ」に今、私は取り組んでいる。
シェイクスピアや、近松門左衛門、
また今回ルーマニアに持っていく「道成寺」など、
近年古典作品に取り組むことが多かった山の手事情社が、
近代劇に取り組もうとしている。個人的に感じるには、
古典作品に出てくる登場人物達は皆偉大で、
芯があるが、「かもめ」に出てくる人物は皆なんだかちっぽけだ。
だが、そのちっぽけさは、
今現実世界に生きている自分がふと感じるちっぽけさとリンクし、
笑う事が出来ない。
100年後の私の気持ちを見透かしたかのように、
この医者のおじさんは二―ナという女性に私の愚かな思想を代弁させ、
そして嘲笑っている。
くそ、お前に何がわかる、という反抗期の子供のような感情と、
彼の掌で踊らされているような妙な安堵感が同時に湧きおこり、
彼がズブズブと私に入って来る。
恋人に話したら怒られるレベルで洗脳されているのである。
このおじさん、医者ということは病人と向き合っていたという事で、
死とも向き合っていたはずなのだ。
そんな物理的な人間と向かい合いながら更に戯曲で人間の精神に向き合っていた彼は、
いわずとしれた「人狂い」である。
私の妄想のなかでチェーホフはキリストよりも愛の深い人物に着々と造形されている。
その彼に私は話しかける。
私を見てくれとすがって見たりする。
時にはイライラして突き飛ばしたりする。
彼は何もしゃべらないが、ただ、そこにいていくれるのだ。

私にとって彼はもはや恋人である。
出会ってしまったからには、もうやるしかないのだ。
あらすじだけ聞けば《悲劇》と捉える事も出来る「かもめ」をチェーホフは《喜劇》と定義した。
その精神に私は近づきたいのです。
一方的な片思いだけれど、誠意を持って取り組みます。
よろしくね、おじさん。

小栗永里子