13/06/06
渡航前に思う
渡航前に思うことをつらつら。
普段忘れてしまいがちだが、ときどき改めて思うことは、僕らが人類の最先端メンバーの中にいるということである。
何万年という人類の歴史の一番先に生きているわけだから。
そうなると当然、芸術の最先端にいるということにもなる。
芸術の段階やレベルのことではない。時間的にだ。
過去に生きていた著名な大芸術家たちを追い抜いて、こんな我々が芸術のトップランナーに躍り出てしまっている。
そう思おうが思わざろうが、事実としてそうなのだ。
いま生きているわけだから。
当たり前と言えば当たり前なのだが、凄いことじゃないだろうか?
これは宝くじに当たるよりもはるかに奇跡的なことであると思う。
奇跡というと、よく世の中は奇跡に満ち溢れているなどとスピリチュアルな文脈で言われることが多いが、ホントにそうなのだ。
たまたま平和な現代の日本に生まれてきて演劇なんかを続けていられること自体奇跡的だと思う。
また《四畳半》などという変なスタイルの芝居が一応なりとも続いていることも奇跡に近い。
「道成寺のお話」が海を渡ることも初めてなのではないか?(歌舞伎公演か何かであっただろうか?)
しかも《四畳半》のスタイルで。
それがたまたまチケットを予約してくれた地球の裏側のわずかの人の目に触れることなどとんでもない確率である。
そう考えると、今回の『道成寺』、まだまだ稽古の足りてない芝居だけれど、人類史の最先端で行われる出来事だと思ってしまえば、完成未完成とか失敗成功とかに関係なく喜びと自信を持ってやれると思うのだ。
一方で責任も重大になってくるように思える。
これから先何十年何百年の長い歴史のなかで、未来のヨーロッパの人たちが日本の演劇で「道成寺のお話」(つまらん話ではあるが)にふれることがあるだろうけど、そのトップバッターであるとも考えられるのである。
要は劇的かつ奇跡的に思うかどうかなのだ。
哲学者は普通の人にはどうでもいいことを死ぬほど深く考えるけれど、
同じように僕ら演劇に関わる者は、何でもないことを劇的にとらえていっていいと思うのだ。
『道成寺』モルドバ・ルーマニアツアー、面白いものにしようと思う。
山本芳郎