13/07/19

道成寺/モルドヴァ・ルーマニア

「道成寺」シビウ報告1 /安田雅弘(7月19日UP)

シビウ国際演劇祭。
6月14日(金)、15日(土)。
会場はチズナディオラ要塞教会。
市内から車で15分ほど。
14世紀以降、たび重なるオスマン帝国の来襲に備えて、この地方では、村の人々が避難するための教会があちこちの山の上に築かれた。その遺跡がシビウ近くにも残っていて、上演会場の一つになっている。現在は教会としては使われていない。
以前、観客として何度か行った事があるが、芝居をするにはとても雰囲気のいい場所なに、せいぜい100人とキャパシティが小さいせいか、照明の電力不足のせいか、バトンがないせいか、歌や楽器の音楽関連の公演が多かった。
会場を決めるに当たって、もちろん今までやっていたメイン会場、国立ラドゥ・スタンカ劇場も考えたが、「道成寺」 → 山の上の鐘のないお寺 → 鐘のない元教会 → チズナディオラ と連想が膨らんだ。フェスティバル側も特別に2日間の公演を組んでくれた。
昨年11月、「女殺油地獄」の稽古でシビウに立ち寄った際、スタッフにお願いして下見させてもらった。
秋、枯葉舞い落ちる山道を登る。高さにして100mあるいはそれ以上か。10分弱。息が切れる。裏に車で行ける道でもあるのかと思ったが、ない。
水道もない。もちろんトイレもない。ふもとにペンションがあり、部屋をおさえるので、そこのトイレを使ってくれとのこと。トイレのたびに下山すんのかい?
電力は18kW。
客席は椅子を並べただけ、段差なし。
床はれんが、微妙にごつごつしている。俳優が足をひっかけそうだ。「道成寺」は裸足だし。

でも、ここでやろう。面白そうじゃん。
ということで、それなりの準備はした。
水は呑む分や、手を洗う分を人力で上げる。トイレは災害時の簡易トイレ持参。
あまり灯体を使わない照明プラン。
客席にも段差をつけよう。と日本から座布団を60席分を持ち込む。椅子席も段差を組めるよう平台をフェスティバル側に注文。

日が暮れないと暗転が効かないので、開演は21:00。
仕込みは、前の公演が終わってからなので、おおむね23:00過ぎ。
照明は暗転が効かないと作れないので、日の出までが勝負だ。
なので、公演前日の昼間、必要な荷物はともかく教会に上げてしまおう、ということになった。
9:00に集まって、トラックに荷物を載せ、教会のふもとへ。
美術はかなり簡易にしたつもりだったが、それでも全部手で運び上げるのはかなりきつい。1人3往復くらい。大汗。いやしかし、ここに道を拓き、教会を建てる労力に比べたら、何でもない。当時の人々を追いたてた恐怖の大きさが偲ばれる。
ところが、いい天気の中、ホイホイ荷物を上げている最中に大問題がぼっ発。

教会管理組合というような立場のオッサンが、ふもとで、英語でまくしたてている。
彼はドイツ系住民なのでルーマニア語ができない。ルーマニア語通訳の志賀さんもここでは間に入れず、互いにつたない英語で意思疎通をはかる。
この教会の建物は古い。キミらは天井の梁に何か釣るようだが、梁は水を吸って弱くなっているから折れるよ。そもそもフェスティバルには梁を使わないよう、注意したし、契約書も交わしている。
って言われても…。それでは鐘が釣れない。鐘がなければ、「道成寺」ではないだろう。こちらは10日も前に最終図面を送り、フェスティバル側からは何も言われてない。
フェスティバル側に連絡すると、確かに許可した。しかし管理組合側がダメだというなら、それ以降はあなたがたの判断だ、って何じゃそりゃ? でたよルーマニア。そんな論法なら何だって通るだろ。バカもたいがいにしてほしい。が、オッサンは一向に引く気配はない。水掛け論の果て、妥協案として、新しい梁を掛け、それに吊るならいいと言いだした。
で、その梁は誰が上げるの?
あんたがただよ。えーっ!
ふざけるな、帰る!
と、のどまで出かかったが、わずかでも望みがあれば、演劇人は公演実施考える哀しい生き物。
で、結局「自分たちで、梁から上げる」ことになる。
ボクと倉品はその日公演の「女殺油地獄」の稽古があり、途中退場。男優人とスタッフが残って重さ100キロ以上ある梁を上げた、らしい。その梁を上げるのに、折れるよと警告された元の梁を使った。もちろん折れなかった。途中、上で作業していた俳優が落下しかけた、と後で聞いた。「命綱をつけていたので助かりました」
洒落にならねえな、まったく。

その夜、教会のふもとのペンションに集合。小雨。
22:00に開始予定の仕込みが23:00になっても始められない。一体どうしたんだ? 観客の入場に手間取って開演が1時間押した、という情報。だらしなさすぎる!
皆疲れている。が、明日本番、今晩中に形にしないと…、という思いでじりじりと待つ。
ようやく公演が終了したという報が入り、山を降りてくる観客と入れ違えに教会に向かう。
教会ではバラシが始まっていたが、なりふり構わず、こちらの仕込みを開始。
椅子を重ねてスペースを空け、舞台面の設置が終わると、本さんが梁に登って鐘の釣り点づくり、下では鐘の組み立て、楽屋づくり、衣裳小道具の整理、照明用トラスの移動、照明電源・音響コードの引き回し…、総員土ぼこりの中、深夜の作業が続く。
いよいよ鐘を上げようという段にこぎつけたのが3:00くらい。
鐘はプラスチック段ボールと木材でかなり軽く作ったが、80キロほどある。
一旦上げたものの、重さを支えられるかどうか不安、という本さんの意見で、釣り点を変更するうちに、5:00。外は明るくなり、鳥がさえずり始める。こちらの焦燥とは裏腹に、何とも美しいおだやかな朝焼け。
「一旦休もう」
作業能率は落ちているし、これ以上の消耗は深刻なケガにつながりかねない。
ここまでよくやったよ。
本さんが数時間ぶりに梁から降りてくる。
からだが冷え、疲れた様子で、釣り点を変えても、このままじゃ安全を保証しきれないっスね、とつぶやく。
鐘を今のまま釣るか、釣るのをやめるか、少しホテルで休んで考えましょう、ということになる。

つづく

※写真
上/チズナディオラ要塞教会での鐘釣り風景
中/大問題がぼっ発! 新しい梁をどうするか思案中
下/何とも美しいおだやかな朝焼け

13/07/17

道成寺/モルドヴァ・ルーマニア

劇場にて

今回のツアーの最終地ブカレストの公演会場オデオン座での出来事。
珍しいものを見かけました。
いわゆる幽霊というやつ。
今までもいろんな場所で何かがいるなあと感じたこともあるし、劇場に幽霊がいるなんてまあ当たり前だろうと思っていたけれど、
今回ほど視覚的にはっきり見たのは初めてでした。
やはり劇場には集まるんでしょうかね。
実は個人的には夜の墓場にすら意外とそういうものが出る気はしないのですが、それは単に骨を埋めているだけだからでしょうか。
でも人の集まる劇場という場所には人の思いや情念のようなものが蓄積されていくんだろうと思います。

衣装のようなロングドレスを着た女性でしたが、昔この劇場で演じていらした女優さんでしょうか。
昼間に僕が舞台の袖で体をほぐしていたとき、僕のすぐ近くを通りそこから舞台の方へ歩いていきました。
誰だよ?と不審に思って舞台に追いかけていきましたが姿は消えていました。

その時は別にやばい感じはしなかったし、不思議と怖くもなくぞーっともしませんでした。
しかしあとから考えてみると、怖くなかった理由は、お化けが恐ろしげな雰囲気でなかったこともありますが、
もうひとつ、なにより自分自身が言わば幽霊みたいなものだからなんじゃないかと思ったのです。
俳優は幽霊に近いものいかもしれないと思ったのです。
幽霊というのが言いすぎだとすれば、どこか別の世界との境界線に立っているというか。
幽霊が、死後の世界の境界線にいてときどき現れてくるのだとすれば、俳優も芝居を通して似たようなことをやっているんじゃないかと思います。
ときどき向こうの世界をのぞきにいく。
精神の崖っぷちに立って見せることによって。
しかも毎公演ごとに役の魂を生まれさせては、消していくということをやっている(ちょっと大げさな言い方ではあるけれど)。
思いや情念が劇場に澱のようにたまっていくのは当然なんでしょう。
なにしろオデオン座は今年で102年目なのです。

それにしても今回のツアーは今までにないくらい大変な公演でした。
特にシヴィウの要塞教会ではトラブルが相次ぎ、仕込みが間に合わず、あわや公演中止かというほどのバタバタでした。
冗談でなく、その教会にいる神様なり幽霊なりに迎えられていないという実感がありました。
結果的には、何とか無事に上演出来たのですが、
ひょっとしたら僕らのことを自分たちと同類だと思ってくれて芝居を上演することを許してくれたのかもしれません。
あるいは、芝居の内容に絶句し、お化けの方が逃げ出したのか?
なにしろ、ちょっと振られただけで男を焼き殺すような女の激しい情念がテーマなのです。

いずれにしろ、今回に限らず今までも何か得体の知れないものに見守られて公演を無事にこなしてきたのだろうと思うのです。
そんなわけで、やはりその場所その場所で、場に対しての敬意を持ってやらないといけないんだろうなと改めて思ったわけです。

山本芳郎
※写真
上/オデオン劇場の舞台(客席を背に)
下/シビウの本番「清姫」

13/07/16

道成寺/モルドヴァ・ルーマニア

仕事と男

海外でのスタッフ作業の醍醐味といえば、
やはり現地スタッフとのやりとりであろう。
その劇場によって当たり前ながら皆やり方が違う、人も違う。
良く働いてくれる人、休みたがる人、色々いる。

最初の劇場、モルドバのイヨネスコ劇場の照明担当ビダリエ25歳は、
とても良く働いてくれた。
兎に角動きが早い。
そして御老体のスタッフには手伝わなくて良いと
一人で作業をやろうとする男気の持ち主だった。
英語も堪能で、話の理解も早かった。
最後に写真を撮りFBで友達になった。
今度お互いの子供を見せ合おうという約束をした。
3日間しか一緒にいなかったのだが、
ずっと前から知り合いのような感覚になる、素敵なスタッフだった。

さて、これだけ一人を誉めたということは、
御察知の通り、その反対のスタッフがいたのだ。
彼の名は、申し訳ない、もう忘れてしまった。
人の記憶というのは正直なものだ。
その日は9時半に来てくれと頼んだのだが、まずいない。
そして、ようやっと来たと思ったら、物凄く不機嫌である。
携帯電話を片手に物凄い剣幕で誰かをまくしたてている。
そのスタッフ、40歳は前くらいであろうか、
Vネックの深く開いた柄シャツに、大ぶりのネックレスを付けての登場。
ジローラモを目指すちょい悪オヤジのようである。
ビダリエのようなジャージTシャツの清々しい匂いは1ミリも感じ取れず。不安がよぎる。
さて、いざ仕込みを開始すると、
自分達で出来るならやってしまって構わないよ、というスタンス。
まぁまぁ構わないさ、やらせてくれるなら。
と思い、四苦八苦した末パーライト16台をバトンに吊り終え、
回路も垂らし終えた。するとさっきまで消えていたジローラモが登場し、
「ごめん、バトン専用のコードがあって、それを使わないとコードが足りないんだ。」
『え・・・? 』「・・・・やり直すのがベターだと思う。」
きっと彼女に何か頼む時もベターとか言ってるんだろうなと思いながら
怒りを抑えさっき仕込んだコードを全て外す。
するとジローラモが「俺が全部やるからまかしとけ。」といって動き始めた。
・・・・早い!! なんだ、この人、
コードがコードに見えない、まるで毛糸のように楽々コードを繋ぎバトンに巻きつけてしまった!!
伊達に小屋付きじゃないなと見直していると、
「これはシングルだよね?? 」と聞いて来た、
シングルというのは回路の用語で、1スイッチで1つの灯体をつけるという意味である、
『イエス』というと、「俺もシングルなんだ。ふふふ」『・・・・あはは』
この言葉を訳した通訳さんが一番かわいそうに思った。

色々あったけれどひとまずバトンは完結し、次にCL(前明かり)に取り掛かる。
これが本当に大変だった。
このジローラモさん、こっちの話を聞いてくれない。
というか、こちらの用意した仕込み図を全く見ない。
ない灯体をあると言い、お互いにパニック。
勝手に灯体置くけど位置違うし、誰がそこに置くって言ったんだよ!!
と思えど通訳さんを介さなければいけないもどかしさ。
『あの、位置違うんですけど・・・』(通訳さんが伝える。)
「・・・ふーっ。(なんでこれじゃダメなのさ?? )」ダメだろ!!
女心分かれよ!! とイライラしながらプランを再度説明する
「回路は足りないけど・・・何とかするよ。機材の数確認してくるから待ってて」と言って下に降りていった。
そしてそのまま5分が過ぎる。
余りにも遅いので下に降りると何食わぬ顔でステージの仕込みに入っていた。
え!? CLは!? 流石に問いただすと、
「やるやる」的な感じなので『先にCLやって欲しい。』と言うと、
「・・・・ふーっ(我がままだなぁ。)」
いやお前戻って来るって言ったじゃん!!
と、なんだかジローラモの浮気癖まで覗いた気分でプリプリしていると
「大丈夫、大丈夫」と肩を抱かれなだめられる始末。私は彼女か!! 振りまわすな!!
そうこうしているうちにようやくジローラモが再び本気を出し始め、
満面の笑みでチェックを求めてきた。
共にチェックをすると、確かに言った通りにセットされている、ホッと胸をなで下していると、
「ね、だから何とかするっていったでしょ。ふふ」
『サンキュー(してくれないと幕開かないし)』
「あの回路はこっちから引いて来たんだ、大変だったよ」
『サンキュー(あー、いるなぁ、誉めて欲しい願望の男・・・)』
最終的には「すぐやる」と言った電球の球替えを1時間かけてやり終え、
彼は帰って行った。

こんな風に書くと、彼をこき下ろしているようだが、
実際にはほとんどの仕事を1人で全てやりこなす、とても仕事の出来る人であった。
回路をとるのは確かに大変だったのだと思う、感謝している。
そう、仕事は出来るのだ、ただそこに、男の遊び癖が混ざってしまうだけであって。
千秋楽では彼の携帯にバッチリ写って、私はルーマニアを後にした。

小栗永里子
※写真
上/イヨネスコ劇場、照明担当のビダリエと
下/オデオン劇場での明かり仕込み

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