14/06/19
『しみったれ』
「遊女」 という言葉に、どんなイメージを抱きますか?
堕落した女性。自分を失くした女性。生き地獄。
地獄の中で、それでも彼女達は、どうして生きるのでしょうか。
先日こんな記事を目にしました。
「風俗店が、社会福祉に勝るセーフティーネットになっている。」
読んで見ると、シングルマザーの8割が収入が114万円以下の貧困層であり、託児施設も寮もある風俗店が彼女達のセーフティーネットになっているのだそう。生活保護の申請に行ったら3カ月かかると言われ、そんなに待てないとお店に来た人もいるそうだ。(3カ月もかかるのは違法なそうですが。)
また先日女性のホームレスについて調べていると、28歳から74歳まで売春をして生きてきたというおばあさんの話が載っていた。関東大震災の時に生まれ、子供の半分が脚気で死に、旦那に自殺された時に一番下の子供だけ連れてパンパンになったのだと書いてあった。嘘みたいな酷い話を、現実に生きている人がいる。そのかわいらしいおばあちゃんは「売春防止法」 によって自分は警察に追われていると思い込み、1か所に定住することを拒むそうだ。また受け入れ施設側も、女を入れると他の住居者がうるさいからと拒むらしい、たとえ70歳でも、80歳でも、女は女なのだそう。
「にごりえ」 に出てくる銘酒屋の女達は、いわゆる私娼であり、吉原の様な公娼ではない。そして勿論、花魁でもない。主人公の女でさえただの看板娘なのだ、ドラマチックのかけらもない設定である。しみったれた、救いのない日常、その中で描かれるドラマが「にごりえ」 である。主人公が失恋して泣くシーンすらない。だけれども、生きるというのは失恋して泣くことではなく、その痛みを抱えて過ごす日常のことなのだと一葉は落ち着いた筆で描写している。それはまさに、上記の女性達の姿と重なるのだ。
自分の気持ちに素直になる時間すら持ちにくくなっている今の私達の葛藤を、明治に生きた一葉は女性の繊細な目線で簡潔に綴っている。そしてその中に、個人が抱える地獄を描いているのだ。多くの読者が樋口一葉に今だに惹かれるのは、彼女の描く葛藤が今の私達からそう離れていないからだろう。
そんな近代女史の作品「にごりえ」 を、前衛演劇の山の手事情社が舞台に上げたらもうどんなことになるか。梅雨入りしてもランニングする時だけ雨が上がってしまう悪運の強い若手が作ったらいかなることになるか。
もう震えが止まりません。(色んな意味で)
後1カ月、一葉に顔向けできる作品にするべく、がんばります。どうぞ皆さま、劇場に足をお運びください。
小栗永里子