14/06/01

にごりえ

『大丈夫。財政難は今に始まったことじゃない』

明るく治めると書く明治時代。
新しい政府、西洋文化の流入、人々の生活のことごとくが変化し、“さあこれから次世代の国家づくりをがんばるぞ” とこまごまとした問題は抱えつつ前向きな時代というのが学生時代の歴史の授業の印象だ。

が、今回樋口一葉の『にごりえ』 を公演するにあたって、再び明治時代について詳しく調べてみると、自分が調べた経済関係だけでも小さな物から大きな物まで問題山積みの大変な時代だった事が改めてわかった。

詳しく書いてしまうとそれはそれは大変な文章量になってしまうので書かない。
かわりに本当に簡単で乱暴にいくつかの問題だけあげると、

「殖産興業政策推進、外貨獲得、海外からの技師、機械の輸入、諸藩から引き継いだ軍事工場や鉱山の運営、鉄道、電話etc あれ、いつの間にかお金がなくなっちゃったよ問題」

「中央集権的な国家を作るために新貨条例(円)を作りたいけれど各藩ごと、それどころか西日本東日本で独自の経済体制を持っているもんだからまずそれを統一しなきゃいけないよ問題」

「日本の銀貨の質が良すぎた所為で海外商人の格好の餌食になる。しかも海外からの質の悪い銀貨が大量流入したもんだからさらに財政難だよ問題」

等等まだまだある。

これだけでも大変だがここにさらに給金を実質半分以下にされた士族と新政策により余計に苦しい生活になった農民が一揆を起こしたりも…。
あーもうめちゃくちゃである。

維新が終わっても激動の時代は続いていたようで。
そんな時代の庶民の視点で樋口一葉が書いた『にごりえ』。
しっかりと取り組んでいきたい。

鯉渕翼
※写真:樋口一葉のゆかりの地を巡るツアーより

14/05/31

にごりえ

『時代の空気』

『にごりえ』の舞台は明治時代です。

サムライの時代が終わり、西欧文化が怒涛のごとく流れ込んできて、人々の生活は驚きに満ちていました。

明治5年(1872年)、新橋ー横浜間で鉄道が開通しました。
耳をつんざく轟音をあげ、白い蒸気をはきながら、凄まじいスピードで走りぬける大きな大きな蒸気機関車に、人々は恐れおののきました。
この怪物のような鉄のかたまりを、人間が造り人間が動かしているなんて、到底信じ難かったでしょう。

恐れながらも、しかしそこは好奇心には勝てないもの。
噂を聞きつけた人々が、その怪物を一目見ようと次から次へと押しかけてきて、大変な大騒ぎになりました。

娯楽があまりなかったこの時代、お花見だとか縁日だとか珍しいものの見物だとか、そういったお祭りごとに、人々は全身全霊で遊びに興じていたと言います。
お座敷遊びも、もうこれでもかこれでもかというほどのとんでもないバカ騒ぎだったに違いありません…!

いまでは当たり前過ぎるいろんなことが、当時の人々にとっては本当に珍しくて、新鮮で、恐怖であり憧れであり、街も人も活気に満ち溢れていたと思うのです。

その時代の空気、劇場の外とはまったく異なる空気を、7月、日暮里のd-倉庫に創りだしたいものでございます。

名越未央
※写真:樋口一葉のゆかりの地を巡るツアーより

14/05/30

にごりえ

『一葉の地』

樋口一葉。

名前くらいは聞いたことがあるのではないかとおもう。
明治の女性小説家で若くして亡くなっている。
純だったり、したたかであったり、ロマンチックな乙女心満載で、死ぬまで独り身だった。命短し恋せよ乙女である。

そしてまた、士族としての矜持がどこかにひっかかっていて、さらなる貧困を恐れたおかげで、小説家としての名を残した、のではないか。
もう1言いわせてもらえれば、読書大好き文学少女である。
そんな彼女の作品に今回取り組むにあたって出演者一同と数人で、一葉の生活圏をそぞろ歩いた (一葉ツアー)。

さて、土地の名前は現在の住所で書かせていただく。
生まれは東京都千代田区内幸町、その後生涯で15回の引っ越しをするが千代田区の他に、港区、文京区、台東区と、この4区の中を転々とする。

2日もあれば徒歩でまわれる。健脚ならば一日ですむだろう。
しかも一葉は旅にでたこともないから本当に狭い世界を生きていた。
私が浅学なだけかもしれないが、当時そのような小説家は他におもいあたらない。

私たちは一葉記念館に行ったあと、上野から東京大学をよこぎって菊坂をくだり、後楽園脇の春日駅あたりをメインに歩いた。
一葉の足跡をたどるなかで当時の面影を残すのは上野にある旧東京図書館と菊坂にある一葉旧居跡である(森鴎外の旧居も現存していたので中にはいったが一葉はきっとこの鴎外宅に寄ったことはないとおもうので省く)。

平成もだいぶすぎてしまっているので当然のことながら明治は無い。
残念ではあった。
もう少しなにかあればよかったのに。
明治の片鱗をもっと見たいのに。
長屋で暮らしている人とか鹿鳴館とか。
なんておもいながら歩いた。

歩きまわっておもったのは、一葉が実際に歩いた世界は本当に狭小なのだと。
一葉の旧居から旧居ま での距離も、近ければ30分、遠くても2時間あれば歩ける。
狭い世界の人である。

ところが一葉は世事に敏感であった。
新聞を読んでいたため、日記には政治や社会に対していろいろと物申している。
旧東京図書館に通いつめて読書にふけている。
萩の舎という歌塾に通って上流階級の人々と接している。
吉原の近所に住んだり、それより格下の女郎屋の脇に住んだり、貧民街を見たりしている。
日清戦争で貧富の差がますますひらいていくことも理解していた。

東京生まれ東京育ちの一葉は日本人の生活や社会階級を根底からくつがえすような時代を肌で直接感じ、目撃できる土地に生きていたのだとおもう。

石原石子
※写真:樋口一葉のゆかりの地を巡るツアーより